ダイアローグ

 

 「合同紡績尼ヶ崎分工場女工は二日午後五時半の終業汽笛を合図に我一と仕事を片付け工場外に飛出し工場裏手神崎川向ひの大阪府佃村より通勤する工女二十餘名は先を争ふて河岸に繋ぎある傳馬船飛乗り帰りを急ぎつゝありしに第三に出発したる一艘の渡船は一人の船頭が棹し西岸を離れ今や向ふ岸に到着せんとする折しも如何なる機なりしか中心を失ひ川下に向ってだしく傾斜を見たれば乗船の女工等は声を限りに騒ぎ立てし為更に其度を増し見る見る轉覆、乗組の女工一斉川中陥落し悲鳴を揚げつゝ彼方此方へ浮き沈む悲惨の光景を東岸より目撃したる佃村々民等は素破大変よと直ちに救助船を出し現場に漕付けたるも何しろ近来稀なる寒気に堪えずやありけんくは無惨溺死を遂げ辛ふじて岸辺に泳ぎ付けるは僅かに数名に過ぎず夫も間もなく人事不省に陥れる騒ぎに佃村及び西岸尼ヶ崎町よりは多数の村民現場に駆付け屍體の収容に着手し所轄尼崎署よりは非番巡査総出となり村民と協力多くの救助船を仕立てゝ大活動を為し居れるが収容屍体廿二個、引続き川中の大捜索を行ひ淡く上絃の月を浴びつゝ右往左往せる警官隊及び村民の多数が処々に篝火を燃き奔走せる傍に死者の家族が狂気の如く駆け廻れる光景轉た凄惨を極めたり」

 (一部旧字体を新字体で表記。太字は原文では大きなフォントで表記があったもの)

 

 静かな閲覧室にコピー機の音が響いている。

 私はコピー機用の硬貨を握ったまま、昔聞いた話を反芻していた。

 コピーしているのは、今はもう会社自体がなくなっている神戸又新という新聞の、大正二年の記事だ。この記事を直接読みたくて、神戸の山の手にある資料館に一人でやってきた。

 事故の日はひどく寒かったという。聞いていた通りだ。

 

 「因に死者の判明せしもの左の二十二名、何れも妙齢の者のみにて生存者は八名あり」

 この八名の中に祖母がいる。

 このとき(いやその前の困窮生活のさなかから、すでにそうだったともいえる)生きのびようとした祖母の意思と執念が、私まで命のバトンを渡した。