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もの言うポスト

 

 ここ最近、クローズドなSNSでヒヤッとすることが続けざまに起こった。

 個人情報をめぐってのできごとだ。

 そのSNSの性質上名前(人によっては大まかな住所なども)はもとから明らかになってはいるが、それ以上のこと、例えば旧姓や実家の住所や家族構成などを話の上で扱う時、自分のそれは自分の責任において加減しながら出してゆくが、他人のそれを扱うのは気を遣う。

 できれば触れずに話をするほうが望ましいと自分などは思っているが、人によってはそうではない。その感覚の違いを痛感させられることがある。

 

 私がネットを使い始めたのは15年以上前になる。

 Windows95が発売されて間もない頃だった。プロバイダの数もまだ多くはなく、プリンストールされた誘導ソフトの通りにInfowebにしたものか、老舗Niftyにするべきか等々、散々迷ってアサヒネットにした思い出がある。

 Niftyにもアサヒにも、その頃はまだパソコン通信時代の名残が濃く残っていた。

 この時分にネットを始めた人は、いろんな機会にネットマナーを仕込まれた覚えが少なからずあるのではないだろうか。ネチケットなんて言葉もあった。

  実名が漏れると危ないという言葉も耳にタコができるほど聞かされた(アサヒネットはパソ通からの推移期にも、しばらく実名主義をとっていたようだが)。

 

 実名を明らかにして使うSNSが勃興した時に一番躊躇したのは、自分のような履歴を持つ人たちじゃなかったろうか。

 その点、携帯やスマホから入ってきたと思われる人たちは屈託もためらいもないように見える。

 ただ、屈託がない分怖さを知らないと感じることもある。行きつけの飲み屋で乾杯しながら話すように、または自分んちの軒下で井戸端会議をするようにSNS上で話す。自分が世間に向けて拡声するマイクやメガホンを持っていることに気づいていないような人も見受けられる。

 それを見ていると、自分が特別に臆病なのでは、と思えてくるくらいだ。

 

 わかっている。実名それ自体は怖くない。ただ、それに加えていくつかの情報が加わった時、点と点がつながって絵が浮かび上がり、逃れ得ない形で個人の姿が浮き彫りになることがあるのだ。

 その「点」を書き足すことに自分はこれまで通り慎重でありたいし、人に書き足されることもできれば避けたい。

 そのためにSNSの使い方を少し考え直したほうがよいのではと考えている。

 

 ニュースフィードを見ていると、1日10件近く投稿する人から数ヶ月間ほとんど発言しない人までさまざまな人がいるが、私の場合重要な連絡や実用的な情報をもたらしてくれるのは不思議とアクティブユーザーのほうではない。

 また、その場合やりとりはウォール上ではなくDMで行われることが多い。

 そういった環境も加味して考えると、実名SNSについては宛名のついたポストとして扱うのが自分には合っているかも知れない。