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セーフティネット

 

 文書館を出て母に電話をした。

 「この間言ってた資料、あったよ。でね、おばあちゃんの川で亡くなった妹さん、もしかしてT姓じゃない苗字を名乗ってた?K姓なら該当しそうな名前があるけど・・・」と言うと、

 「あ、それだわ、間違いない。あの頃通称としてK姓を名乗ってたから」と母が言う。

 

 「おばあちゃんも?TさんじゃなくてKさんだったの?」

 「そうよ」

 「知らなかったわ」

 

 母の話によるとこうだ、祖母の父親に当たる人が親族の反対に遭い、曾祖母を籍に入れることができなかったのだと。反対していたのは祖母の父親=曽祖父からみて父親に当たる人の後妻に入った女性で、曾祖母が貧家の出なのを嫌い、籍に入れず困窮のままにさせた。商家の後継者争いのとばっちりという面もあったようだ。

 そういう経緯があって戸籍上は母親方のT姓だったが、普段は父親の姓であるK姓を名乗っていたのだそうだ。

 

 ところが話はここで終わらない。

 商売はまもなく立ち行かなくなり、意地悪をした後妻は女一人で子を食わせて行かねばならなくなる。

 当時の貧家では子供がおもな働き手でもあった。実際記事中亡くなったと欠かれている私の祖母の妹も、10歳から年を偽って働きに出ていた(※)。祖母も事故当時、逆算するとまだ15歳だった。

 ただ、後妻の子供には知的障害があったそうで、働き口を見つけるのは難しかったのだろう。はじめは針仕事で糊口をしのいでいたが、やがて行き詰まり、子供と自分の体を離れないよう縄で結んで川に身を投げたという。

 

 祖母が「亡くなったら皆仏さんだから」とその場所で経を上げているのを見たと母は言う。

 今と違い、生活保護もなく、障害を持つ子供を抱えていても公のサポートはなかったと思われる。一度でいい、セーフティネットのない世界をつぶさに想像してみてほしい。それはすごく怖いものであるはずだ。

 

 

 

 

※少しでも大きく見えるよう高下駄を履かせ、髪をできるだけ高く結い上げて工場の面接官に会わせたと、生前の祖母の思い出話にある。