令和7年10月8日

ブログでブイブイ稼いでた人が、現在やっとこさの暮らしをしているという記事を、はてブ経由で先日読んだ。

 

「ブログで稼ぐ」あったよな。

毎日更新しろとか、タイトルに数字を入れろとか、そういう些末なノウハウが拡散されてたっけ。

本当にブログで稼いでた人いたんだな、と言うのが正直な感想だった。

興味本位でアナリティクス入れてみたら来訪者が週に1桁だった自分は、そんなもん都市伝説だろと思ってた。

 

当時多くの人が互助会(行為)を問題にしていたな。

金になるということでブログに人が群がり、人目につくようにお互い星をつけあい、手を取りあって引き立てあうといえば字面は美しいがまあズルはズル、既存の仕組みを借用しての小銭稼ぎでしかない。

 

その手のセミナーなどを開いてた人もいたような。

オンラインサロンの類が雨後の筍のように生えてくるのを、当時低みの見物してたっけな。

その低い視界からネットを見ていた私には「ブログで稼ぐ」時代が終わったというより、ほんとに実態はあったのかしら、という印象が強い。

 

そういや自分も日記代わりのブログを持ってたっけな、と読み終わってふと思い出した。

時代の匂いが少し変わったのなら、続きを書いてみようかなと思ったのだ。

 

8年半

えーと、いまって2025年だろ?

最後の投稿が2017年3月だから単純に引き算して、8年半が経ったということだ。

 

ただ、8年前の自分にもし会えたとしても、私は声をかけずそっと引き返すだろう。

当時一番頭を悩ませていた、介護サービスを拒む親族の問題は程なく解決を迎えるけれど、それは永遠のお別れと言う形で訪れる。

そして一息つく間もなく、突然の直下型地震で我が家はいろんな物を失う。

その他にもいろいろ。

前もって知っていたら、却って乗りきれなかったかも知れない。

 

そうそう、最後の投稿に書いてたIngressは?

 

時々、と言っても数ヶ月に一度くらいアプリを立ち上げて近所の様子を見るけれど、味方が強くていつもフィールドは真っ青。

レゾの補強くらいしかやることがないので、立ち上げてもすぐ閉じてしまう。

 

私がゲームをしなくなったのと入れ替わるように、ここ数年は夫がポケモンGOに血道を上げている。

いっときゲームの応援を求めて夜中に私を叩き起こしてはどやされる謎行動を繰り返していたけれど、最近やっとゲームとの程よい付き合いかたを見つけたようで大人しくなった(熱が冷めたともいう)。

なにしろパチンコ等も含めてゲームの類を一切したことがなかった人なので、これまで加減が分からなかったようだ。

 

ピーク時に比べたら冷めたとはいえ、夕方になるとスマホをカバンに入れて自転車で漕ぎ出してゆくルーティンは変わらない。

そして戻ってくると結構な確率で愚痴がはじまる。

ポケモンGOには、4~5台のスマホを使って複垢を駆使するプレーヤーがざらにいる。

中には赤と青、黄色と青などのように、複数チームのアカウントを使う者もいて、ジムから気に入らない奴だけを蹴り出したりする。

蹴り出された夫は激おこぷんぷんで家に戻ってくるのだ。

 

バカバカしくて腹が立つのはよくわかる。

しかし、もうやめたら?というと、それは嫌なのだそうだ。

もう画板おじさん(※)同士の戦いになってるじゃん。誰も規約を読まないし、守る気もない。なので私はたまにレイドに付き合う時くらいしかプレイしなくなった。

ゲームそのものより、めんめんと続く夫の愚痴の方がまだしも面白い。

 

 

※ 画板の上に複数台スマホを並べて、曲芸のように複垢プレイをこなすおっさんのこと。画板を使わない場合も多い。画板は比喩であり概念である。

 

 

 

ガチAGになれなかった私のために(3)

 

 家族がもうすぐ引っ越す。準備やなんやかんやで落ち着かない3月が過ぎてゆく。

 

 ingressの話はこれで最後。余談中の余談になるし、おそらく今後もう書くことはない。

 今年中に新ゲームとして登場すると予告されたものが、単なるアップデートなのかまるで別物になるのか今の時点ではわからないが、余程の改変がない限り戻ることもないだろうし、再びアプリを入れてもソロで気ままに遊ぶにとどまるだろう。

 

 いくつかある隣接市のうち、AG同士が敵味方関係なく仲の良い(人たちが多い)地区がある。スポーツのように、勝負が終わったらノーサイドという考え方のようだ。非常にすっきりして合理的だが、多くの場合こう気持ちよくはいかない。

 

 このゲームのプレイヤーには二通りあって、スポーツ選手のようにその時その時のゲーム運びのベストを追い求めるタイプと、全日と新日の因縁試合!みたいなゲーム自体とは違うファクターでモチベーションを保持する人がいる。この二者は同じゲームをしていてもどこか別のものを見ているように私には感じられる。

 

 違うファクターとは具体的にはどういうものかというと、リアル遭遇した時の態度が気に入らなかったなどの個人的な恨みつらみから敵陣営は中央集権的だ軍隊的だといった体制批判的なものまで様々。

 人は大義名分があると燃える。

 なければ発見するまでだ。

 で、困ったことに、私の中にも少なからずそういう部分がある。それに気が付いてから、私はかなり自重するようになった。

 

 仲間うちで槍玉にあがるAGの自宅ポータルを攻撃すれば多分賞賛は飛んでくるし、1レゾを詰めて反転すれば痛快がられるだろうというのは分かっていた。自分でも「してやったり」と胸がすくことだろう。

 でも、「もっとヘイトを!」という言葉や行動様式に、私は徐々に胸やけを感じるようになっていた。

 

 ingressと同じナイアンティックが作ったポケモンGOというゲームが凄いと思うのは、プレイする人間に徹底してヘイトが向かわない作りになっていることだ。

 たとえば自分がジムに置いたポケモンは負ければいつの間にか手元に戻ってくる。攻撃されている通知もこないし、誰が追い落としたかもわからない。そもそもログが残っていないのだ。

 二項対立を避けるためにチームを三つに分けたのも深慮を感じる。

 縄張り意識や承認欲求とリンクしなくなった分、ゲームそのものは淡白な味わいになったが、これは「社会実験」としてingressというゲームを主催することでナイアンティックが得た果実だと私には思える。