危うきに近寄らず

 

 昨日FBでは、古い知人同士が思わぬ場所で偶然再会を果たして盛り上がっていた。

 コメントを入れてふと思った。再会した二人のうち一人は既にFBで友達だから、私のことは当然知ってる。でも、元同級生であるもう片方の彼女が間接的に私のコメントを目にする機会があっても、私がどこの誰かはたぶんすぐにはわからない。

 

 旧姓を併記したら、その点ではずいぶん便利になることだろう。

 実際にそうしている人も良く見かける。

 しかし躊躇する。怯む。人間関係トラブルに以前見舞われていた記憶がいまだに生々しいからだ。しかも異性じゃなくて同性。

 もういい加減忘れているだろうとは思うが、予想できない反応をする人なので思い出されると面倒だ。

 

 執着されたきっかけは、お揃いの服を着てほしいとの申し出を断ったことから。

 やんわり断ったつもりだったのだが、先方は断られたこと自体が許せなかったようだ。自分自身を拒否されたと受け取った気配もある。

 それまでは「あなたは最大の理解者だ」と言って、日がな一日気に入らない人たちの悪口を辟易するくらい私に言い続けていたのが、手のひらを返すように180度変わった。

 それまでの悪口の中身もほとんどが相手を「裏切り者」よばわりするものだったが、今度は私が「裏切り者」「人間のくず」になったのか、と複雑な思いだった。

 

 家への無言電話や怪文書もメンタルに来たが、職場へ悪評を撒くのにも参った。

 でも撒かれた悪評のうち、タバコを押し付けて火傷をさせられた、というのは私を知っている人ならすぐ作り話だとわかる。体質的にタバコを嗜むことができない事を、身内の者は知っているからだ。

 

 今思えば、気に入らないことがあると職場のトイレに泣いて立てこもる彼女を懐柔する役目を、行き掛かり上とはいえ私が担っていたこと自体がおかしいのだ。

 大人なんだから放っとけば良かったのだし、波風を収めろと上から言われたら、それは向こうに言ってくれと今なら言う。

 今更言っても詮無いことだが、おかげで悪い縁ができてしまった。

 

 ・・・うーん、やっぱり旧姓は伏せたままにしておこう。身内に迷惑がかかったら嫌だし、その恨みが時効になったかどうかは彼女自身にしかわからないのだ。