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お返事を書きました

 

 3日ほど前にはてな経由で呟いた上記の文章についてidコールを頂いたので、それについて少し書いてみたいと思いましたが、二つほどお断りしておきたいことがあります。

 ひとつは多分まとまりのない文章になるであろうこと、二つ目としては、私は桜島さんとは面識はなく、たまに書かれたものを拝見するだけで人となりを深く知る由もないことです。こうして長く引っ張って言及するのも実はちょっと気が引けています。

 

 そこには、桜島さんのある文章を読んでほしいと書かれていました。

ninicosachico.hatenablog.com

 桜島さんの人となりについて悪印象を呟いておられるのでどのへんがソース?と問うた私の呟きに対して解として示されたものですが、それは解とははるかにかけ離れたものでした。「クソ長い」と紹介されたのですが、さほど長いとも思わず読了したのみならず、内容に得心してしまったのです(※)。

 

 内容は大きくくくると「(自分が考える)インターネットでの人とのかかわり方」でしたが、同時にそれはリアルの人間関係にも応用できそうな「自分と他者との間のラインの引き方」でもあります。

 

 どこまでが自分の庭か、どこからが人の庭か。公道にあたる部分はどこか。

 このラインの判断を狂わせる要素はおそらくひとつではなくいくつかあると思われますが、ここ数年ネットを眺めていて私が時々感じるのは、なんら義務でもないものに強制力を感じると主張する人たちが増えてきたことです。

 これは全くの私感なのでぴんと来ないと言われても仕方がない部分ですが、例えば何かに対する感想や心情の吐露に対して、主旨や結論などを「強いられた」と感じる受け取り手が増えた印象が私にはあるのです。

 他者の心情の吐露にも自分に対する強制力を感じてしまう人にとっては、インターネットは地獄でしょう。他者のふとした私感が「叩き」となって襲い掛かってくるのですから。

 「庭で叫んでいる」人は、その前に「自分の庭で叫ばれたと感じている」可能性があります(いや、実はそうではない可能性が高いのですが)。

 

 少し脱線したようなので話をもどしますと、たとえば今回話題になったの桜島さんのTVへの感想エントリにしても、読み手は頷くことや同意することを求められているわけではないのです。

 実際そのあと、お笑い芸人の世界に詳しい方が直後に反論を張ってらしたけど、そうやって異議を申し立てることもまた自由です。その異議に対してまた「感想」を呟くこともまた自由。

 大事なのは表明する自由があると同時に黙る自由もあるということです。

 なんどきであれ相手に応じなければいけない、応じない人は卑怯、という硬直した定義は誰をも幸せにしないのでは?と私は考えています。

 

 

 

※ 本筋と外れる箇所で少し感心したのは、自分の主張に拍手してくれる人と反論してくる人を、公平性を持たせるため同じ扱いにおさえるところですね。あと本文中に「私が悲しくなろうが辛くなろうが「人として無視してならない」と思う情報は見ます」とあり、人道的に問題のない範疇で自分の裁量による主体的な取捨選択をされているということなので、それでいいのでは、と私は思います。