ポケモン百景・2
知らない人が見れば、これから何かイベントでも始まるのかと思うだろう。
藤棚の下のベンチにも、植込の脇にも沢山の人がいるがさほど騒がしくもない。皆静かにスマホの画面を眺めているか、控えめな声で仲間らしき人と談笑している。
ゆるやかに夏の夕闇がおりてくる。
ここは京都。八坂神社の裏の円山公園だ。
ミニリュウが出るらしいと聞きつけた息子に誘われて、下鴨神社からの帰りに立ち寄った。
時々さざめきが起きる。
「アズマオウがいる」「どこどこ」「いるわ」
出現したポケモンは大体ほかのプレーヤーにも見えるので、集団幻覚を見てるような具合になって面白い。
どよめきが起きたのはハクリュウが出現したときだ。
「いるいる!」「取れた?取れない?」「逃げられたー・・・」「やったー!」
強いポケモンは、プレーヤーのレベルによっては手に負えないのだ。
私も逃してしまった。ああ残念、と惜しみながら、不意に十年ほど前に諸般の事情で無くなってしまった花火大会を思い出した。
花火がよく見える土手があり、自転車を漕いで見に行った。大玉が上がるたび、同じ花火を見ている人たちから歓声が上がる。息をのむ人もいる。
思い出の中の光景と今目の前の様子が重なる。ただ、花火が上がっているのはスマホの画面の中だ。ルアーモジュールという華やかな小玉に彩られて時々ポケモンという大玉が打ち上がる。
夕闇が一層濃くなる中、あたり一帯は穏やかな多幸感に浸されている。おそらくそう遠くない未来に潮が引くようにブームは去るだろうが、それまでに何度かこういう時間があればいい。それで充分引き合う気がする。
追記:この日、電車に乗る前に立ち寄った商店で、おっちゃんが店の角を指さしながら「そこに2体ポケモンがいるらしいよ」と愉快そうにしていたのが面白かった。
ポケモン百景・1
休日の朝、たまたまつけていた爆笑問題のTV番組を見ていたら、PokemonGOが歩きスマホを助長するので問題だ、と太田が批判している。
「画面見なくてもゲームできるようになってるのに、なぜかどこもそれをあんまり言わないよね」
と言うと、下の息子が、
「太田なら知っててもあえて言わなさそうじゃん」と言う。「でさ、指摘されたら、それは知らなかった、とか言って」
大いなる偏見だけど、あまり違和感はない。
多くのメディア上で実際に事故やトラブルを減らせる情報を流すことよりも優先されるのが、新しく世の中に出現したものへ眉をひそめて見せるポーズだったり、そういう感情をあえて波立たせたりすることだったりするのを見ていると、情報の有用性よりも共感のほうがここでは優位なのか、と思う。
なぜこんな問題の多いゲームを配信したのか、自分は歩きスマホの人間が近寄ってきたらわざと避けずに衝突してやる、と書いている一般の方の新聞投書を読んで、朝からすこし考え込んでしまった。