なぜ自分が楽だったか思い出してみた

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 この2つの記事が話題になってたときに考えていたことを書くが、先に断っておきたい。

 私はこの2者のどちらに近いかというと後者なので、それに沿って書くことになるがそれは他者に「自分は出来たのにあなたは」と責める意味でもないしできる自慢でもない。

 

 私の育児体験は年子の男児ふたり。かなり活発で自己主張もはっきりしていた。人見知りはなく、知らない人にも平気でコミュニケーションを取りに行くので、目を離すと怖いことになるし、ヒヤッとするエピソードなら山ほどある。

 

 (特に乳児期が)すごく大変だったでしょう、と同情されるがそうでもなかった。

 当時の暮らしを思い出しながら、楽だった理由をいろいろ考えていた。もちろん夫が激務ではなかったのも大きいが、私の中で一の理由として思い当たるのは「泣いていても割り切って家事ができた」ことだ。

 これは環境によっては難しいだろうし、泣いてる子供を放っておいたのかと顰蹙を買う可能性も大いにある(っていうか、これを読んでる人が引いてる気配すら感じる)。

 当時は社宅暮らしで同世代の幼児持ちが多く、ある程度お互いさまなところがあったのでそれができたのだ(※1)。

 

 なぜ割り切れたかというと、これは子の育てやすさに恵まれたのだとと思う。うちの子は2人とも「わかりやすかった」。

 同じ泣き声でも、何を置いても飛んで行かねばならない危急の際の要レスキューな泣きかたと、ちょっと寂しいから呼んでみた的な泣きかたが明らかに違う子供だった。

 なので割り切って「ちょっと待っててね」ができたのだ。もちろん、手が空き次第思う存分抱っこするのだけど。「ごめんね~」とか言いながら。

 

 夜泣きの時期が早く終わったのは、朝になったら子が寝ていてもカーテンを開ける習慣があったので、早めに昼夜の区別がついたのかも知れない。子がいてもある面では結構大人のペースを崩さずに暮らしていたのだと後になって思う。

 

 個人差については大いにあると思う。

 公共の場で隣席に座った家族連れの子供が、ずっと背中を突っ張りながら火が付いたように泣き続けていて、親御さんが気の毒だと思ったことがあるが、少しぐずる時も危急の時も同じテンションで延々と呼ばれ続けてたら私も「ちょっと待っててね」なんてできなくて、参ってしまっただろうなと思う。

 

 昔の人が疳の虫と呼んだのはうまい考え方だなあと感心する。だって、子供のせいじゃなくて虫のせいなのだ。

 

 

 

※1 この「お互いさま」も大きかった。

 以下余談。私は昭和40年代生まれで、放課後になると街角のあちらこちらに子供が群れて遊んでいるのが普通という環境で育っている。子供がいたら(やかましさや迷惑は)そんなもんという認識が周りの大人に普遍的にあった。

 発言小町で「家の前で子供を遊ばせるなんて非常識極まりない」というアンサーを見てのけぞり、自分たちが育てられたころとは世間の認識が全く変わってしまっているのを感じた。昔はよかったというのは本意じゃないし好きでもないけど、今のように子育て世代が異世代が多い中で恐縮して暮らすのと比べたら、うちの親たちの世代は世間から許されていたぶん格段に楽だったと思う。