親不孝

 

 ネットなんか一切しないこと。そんなことをしてたら人間ますますおかしくなるんだから。と母が言う。

 わかってるよ、と私は返事する。それ以上のことは面倒になるから言わないのが習慣だった。どうせ何十キロも離れた場所に住む別所帯で、頻繁に顔を合わすこともないのだ。

 

 アウトプットを伴う私の趣味のほとんどを母は蛇蝎のごとく嫌っていたので、学生時代に軽音部に所属していたのもいい顔をしなかったし、大学ノートに文章を書き溜めているのも気持ち悪がっていた。

 二言目には、普通のまともな子になって欲しい、と言う。本を読む習慣がない母にとっては、女の子がむさぼるように本を読んでいるのも異形の姿にみえるようだった。

 

 書くときりがない位いろんなことがあったが、結婚してから私はピアスの穴を開け(事後報告)、免許の類も持ってなかったので扱いやすい小型二輪の免許を取り(事後報告)、小説を書いて新人賞に応募したり(事後報告)した。そしてその度に絶句された。

 

 母も諦めが悪すぎるのだ。

 社会人になった後、アナログシンセとシーケンサーを入手して、ぽちぽちと部屋で打ち込みに没頭していたら部屋に駆け込んできて、どうしてあんたはそんなおかしな事ばかりするの!こんな事をしているとますます変な人になってゆく、と怒り心頭だったが、変か変じゃないかという話なら生まれた時から多分変だったんだからもういい加減諦めてくれよ、と喉元まで出かかったのをこらえた。

 こらえたのは、母が欲しかった娘は私みたいなのじゃないという失望をダメ押ししてしまうのは残酷かも、と思ったからだ。多分、もうちょっと自分と似た性質で一緒に買い物したり楽しくガールズトーク(?)が弾んだりするような娘が欲しかったんだろうなあ。私はやだけど。

 

 ネットなんかしてないでしょうね、に対して、はいはい、といなすやり取りはしばらく続いたが、ある時から母は急に、父の趣味の写真撮影でこういう所に行きたいんだけど、ネットで調べられるなら道順を教えてくれと言うようになった。

 以来、検索結果を会った時にプリントアウトして渡す事が増えたが、この心境の変化は写真仲間のご高齢の方(80歳を越えている)が、PCを自分で覚えて写真をプリントしたり、CDを焼いたり、ネットで宿を手配したりする姿を間近で見て、PCやネットに対する偏見が霧散したことによるものらしい。

 

 母も変われば変わるもんだと思ったが、しかしそのネットでまさか娘がブログをものして自分がネタにされているとは夢にも思うまい。

 母だけでなく父も、「御座候」を「そうでござろう」と読みまちがえたり、スーダラ節が似合う男と言われたのを、娘がネット上でネタにしているとは夢にも思うまい。

 と、近頃ふたりの顔を見るたび不憫に思うが、不憫にしているのは私だ。すまんのう実にすまんのう。

 

 

 

 

追記:私が「変な人」なのはあくまで母目線。実際の私自身は凡庸な人間です。